映画「レヴェナント」の疑問点を解説します
最終更新日:2016/08/18
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目次
本物のヒュー・グラス
ヒュー・グラスは実在した人物です。1780年頃にペンシルベニア州のスコットランド系移民の家庭に生まれました。グリズリー(ハイイログマの別名)に襲われる以前に彼が何をしていたのか、はっきりとは分かっていません。
罠猟師になる前は海賊だったと言う話が伝わっていますが、グリズリー襲撃から生還するまでの伝説にかなりの尾ひれが付いたらしく、本当かどうか疑わしいです。彼の逸話を元に書かれた小説がマイケル・パンク著の原作本です。著者は専業の小説家ではありません。弁護士でもあり、オバマ大統領のもと次席通商代表としても活躍しています。
小説では、グラスが生まれてから航海士になり、捕らわれて海賊になるまでの過程が描かれます。海賊から逃げ出し、インディアンのポーニー族に捕まるも1年間ほど一緒に暮らします。その後、白人社会に復帰するものの海には戻らず、衝動に突き動かされるように西へ向かいます。と言うのが、小説でのグラスが罠猟師になる以前の物語です。小説では描かれませんが、映画と同様にポーニー族の女性と結婚もしていたと伝わっています。しかし、やはりどこまで本当なのか分かりません。
子供がいたと言う話はどこにもないため、映画での息子ホークは完全なフィクションです。復讐心を強調するため、また、家族愛の要素を取り入れるための改変でしょう。映画の脚本としては正解だったと思います。
映画ではアリカラ族の娘をフランス人から助けたことで命を取られずに済みましたが、本物のヒュー・グラスは1833年にイエローストーン川沿いでアリカラ族に待ち伏せされ、殺されてしまいます。最後まで罠猟師を続け、約50年の生涯でした。
グラスの移動距離は?
小説では、フィッツジェラルドとブリジャーに見捨てられてから、約6週間でカイオワ砦まで約350マイル(563キロメートル)の距離を移動しています。片足骨折で瀕死の男が回復しながら1人で東京-大阪間に匹敵する距離を徒歩で移動する訳です。舗装された道路でも無理でしょう。
ヒュー・グラス生還伝説では、最初は距離が80マイル(約120キロメートル)だったのが、100マイルになり、200マイルになりと段々と距離が伸びていったようです。映画では現実的に考えて、6週間で80マイルの距離を採用したようです。
しかし、色々と調べてみると不思議な事が分かりました。グラスがグリズリーに襲われた地はヒュー・グラス記念碑(Hugh Glass Memorial)としてサウスダコタ州に実際にあります。
史実ではその近辺からカイオワ砦まで移動していますが、どう見ても直線距離で300キロはあります。記念碑の位置がおかしいのか、途中で誰かに助けられてカイオワ砦まで移動したのか、それとも途中で馬でも見つけたのか、何が正しいのか良く分からなくなってしまいました。
ちなみに、映画のカイオワ砦はイエローストーン側の近くなのでミズーリ川の上流にあるようです。しかし、本当のカイオワ砦はミズーリ川の下流にありました。どうやら映画では、上流のユニオン砦もしくはヘンリー砦をカイオワ砦としたようです。
史実では復讐を果たせたのか?
史実ではグラスはフィッツジェラルドとブリジャーに復讐を果たせたのでしょうか?
復讐に関しても実は詳しい話が良く分かりません。映画ではブリジャーはフィッツジェラルドに騙されてグラスを見捨てたことになっていましたが、この点も不明です。積極的に見捨てたかどうは定かではありませんが、若いブリジャーの事をグラスは許したようです。
ブリジャーは映画の実在の登場人物としては一番成功した人物です。毛皮交易が下火になる1840年代までロッキーマウンテン毛皮商会を経営。インディアンの女性と3回も結婚しています(死別2回)。探検ガイドやアドバイザーとしても知られ、現在ブリッパスと呼ばれるルートを見つけています。この他にもアメリカにはブリジャーの名前が付いた地名がたくさんあります(ブリッジャー山脈、フォートブリッジャー等)。1881年に77歳で永眠しました。成功者が善人とは限りませんが、数々の功績を考えると悪人とは思えません。やはりグラスを見捨てたのはフィッツジェラルド主導だったのではと考えてしまいます。
では、フィッツジェラルドに対して復讐を果たせたかと言うと、これは実際には果たせていません。フィッツジェラルドに追いついた事までは分かっていますが、それ以上は何もありませんでした。映画でも少し触れていますが、グラスがフィッツジェラルドに追いついた時点で彼はなんと陸軍に入隊していました。そもそも、グラスが殺したいほどフィッツジェラルドを憎んでいたかどうかも分からず、いずれにしろ軍人を殺すことは出来なかったと思われます。映画では無事(?)復讐を果たせましたが、史実通りでは締りのない終わり方になったでしょう。とは言え、小説はそこら辺をうまくまとめていると思います。興味のある方はぜひ読んでみて下さい。
フィッツジェラルドについては、砦を脱走して陸軍に入隊したことは事実のようですが、それ以外のことは分かっていません。
最後に罠猟師隊のヘンリー隊長について記しておきます。彼は映画のようにフィッツジェラルドに殺されてはいません。彼はロッキーマウンテン毛皮会社(後にブリジャーが経営)の共同経営者だったのですが、会社が成功する前に株を売却し、最終的に破産しています。株売却をもう1年待っていたら莫大な富を得る可能性もあったのに、いずれにしろツイていない男でした。最終的に無一文で亡くなっています。
レヴェナントの時代の銃
レヴェナントの時代の銃は基本的に1発しか打てません。グラス達が使用していたライフル形状の銃はフリントロック式のマスケット銃です。日本の火縄銃もマスケット銃の一種です。筒の先端から金属の弾(たま)を込め、装薬である火薬を入れ、引き金を引いてフリント(火打ち石)で点火することで弾を発射します。連射しようにも1分間に2発がせいぜいのようです。銃撃戦をやっている間に弾を込めるのはまず無理でしょう。そのため、事前に弾を込めておいて、その1発をどこで使うかが重要になります。タイミングを失敗すると命取りです。
上の動画でフリントロック式ライフルを打つ様子を見ることができます。ちなみに、金属薬莢が登場するのは1836年のことなので、レヴェナントの1823年よりもずっと後のことです。紙製薬莢は既にあったものの、短銃のみで使用されていたようです。
アリカラ族から逃げて馬に乗ったまま崖から転落するシーンの直前にピストルを連発しています。これも1発しか打てないと思うので、映画的ご都合主義でしょうか。2丁持ってたようにも見えなかったので、ビデオレンタル開始時に再度確認してみます。